前に逃げる 〜院浪生のブログ〜

東京育ちの院浪生。ディープラーニング初心者。

古谷経衡さんの『「意識高い系」の研究』を読んだ

先日、文筆家の古谷経衡さんの著書である『「意識高い系」の研究』を読みました。

 

リア充」や「意識高い系」の定義を明らかにしながら「意識高い系」の内面を分析する内容となってます。最終章では「列伝」と称し「意識高い系」の中でも象徴的な人物にスポットを当て分析、批判しています。

 

興味深かったのは「リア充」と「意識高い系」の定義です。古谷さんは「リア充」を、地元に固着し、先祖から相続した土地を持ち、スクールカーストで上位にいた存在としています。その定義を踏まえリア充は承認欲求を満たす必要がなく自己評価も相応であると述べています。一方で、「意識高い系」そうでない人間なので承認欲求が高く、自己評価が不当に高いとしています。

中盤以降は「意識高い系」の内面の分析と批判が行われます。古谷さんはここで、意識高い系が欲望をそれより上位の大義で覆い隠そうとすることを指摘ししています。「意識高い系」高い承認欲求を持ちつつも泥臭い努力をすることもない、「意識高い人」の亜種として位置付けています。

時折はさまれる「意識高い系」を見分ける方法についてのコラムは大変皮肉とユーモアに溢れたものになっており良いスパイスとなっていました。

 

個人的には「リア充」と「意識高い系」を地元に土着しているか否かで分類したところが非常に斬新だと感じられました。このような分類の方法は今までになかったのではないでしょうか。そしてこの分類には強い説得力も感じました。元々自分としても「マイルドヤンキー」と「意識高い系」を対比させて考えることが多かったからです。

自分の体験として、中学校時代にスクールカーストの高かった人たちは今現在も地元とつながりを持ち遊んでいることが多いように感じられます。(彼らはそれをわざわざアピールもしないのでSNSなどでそれを観測することは難しい)

一方で「意識高い系」として観測される元同級生(怪しいネットワークビジネスにはまっている)は、毎日のようにSNSで観測することができます。彼らはタワーマンションでのホームパーティと称した集まりを報告したり、芸能人と会ったことを自慢したり、「社会的に成功した自分」をアピールすることに余念がありません。中学校時代はスクールカーストが下位で、卒業後の地元の集まりに呼ばれることもありません。この本で述べられた「意識高い系」の特徴に見事に合致していました。